聖ヨゼフ修道会
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2009年7月

 むし暑い季節となりました。さゆり会の皆様、いかがお過ごしでしょうか。
 今年の7月は、昨年列福された、ペトロ岐部と187殉教者の祝日からスタートしました。日本のキリスト者にとって、大切な祝日です。先日、このペトロ岐部と云う人物と彼の不屈の信仰についての記事を見つけ、彼の信仰の旅から、改めて神様が私たち一人ひとりを内から動かされる促し、あるいは使命ということを感じ、味わいました。私が出会ったその短い文章には、「いったい何が彼をしてこれほどの執念を持って生き続けさせたのか、「信仰」というものの殆ど「奇跡」としか言いようのない力を感じる」と書かれていました。彼をその旅に駆り立てた力は、神からの働きであり、同時に彼の神への熱い応答と同胞に対する愛の力だったと感じます。
 6月のさゆり会の分かち合いは、私たちの修道会の最初の6人の姉妹についてでした。この女性たちは、どのような人々だったのでしょうか。一言でいうと、普通の「何もない」人々でした。しかし、神からある使命に呼ばれた人々でした。
 私たちの修道会が創立された17世紀には、女性のための修道生活というと、観想修道生活だけで、囲いの中で祈りに生きる生活様式に限られていました。さらに、これらの観想修道会は、持参金を都合できた人々だけ、つまり高貴な生まれの女性たちだけを受け入れていたので、下層階級からの普通の女性たちには、ほとんど修道者になる道は閉ざされていました。言い換えるなら、修道会も、当時のフランス社会…階級に基づいて人々が区別され、富と生まれによって、人の生涯が決められるという社会的価値観に左右されていたと言えます。従って、貧しい人々は、深い疎外感と差別によって、より苦しい状況に追いやられていたのです。そして、そのような現実の中で、貧しい、特に病気の人々の非常なニーズを目の当たりにした創立者メダイユ師が、分裂を癒し、人々と神、そしてお互い同士の一致をはかるため、できることをするようにという深い内なる声を聴いたのです。そこで、彼は、女性のための使徒的生活という新しい修道生活を心に描きました。それは、それまで修道生活への召し出しが閉ざされていた一般の女性たちにその道を開くことになり、同時に、当時の階級の身分に合わせて、貧しい人々に近づき、その必要性を満たすという道を開くことにもなりました。このようにして、メダイユ師と共に、最初の6人のシスターたちが神の呼びかけと人々のニーズに応え、私たちの修道会が創立されたのです。彼女らは、社会的に全く無名で、取るに足りない人々でした。しかし、だからこそ、貧しい人々の中に入り、働くことができたのです。
 この6人の女性の物語は、私たちに、人となられた神であるイエスの生涯を思い起こさせてくれます。イエスは神でありながら、人となられ、自己を明け渡して、「何者でもない」存在となることの何よりの模範を示して下さいます。イエスの生きる道、使命は、何か自分自身を高めていくような、輝かしい道でも成功の道でもない、それどころか、弱さと惨めさへの道、最期には先が見えなくなるような苦杯の道でした。しかし、だからこそ、どのような苦しみ、痛みの時にも、「主イエスは私と共にいて下さる」という信仰の強い確信を、今も私たちに持たせて下さるのではないでしょうか。イエスに倣い、「何もない」者として、それぞれの使命に生きることができますように…。

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