●修道生活への招き
イエスキリストは、父なる神さまが限りない慈しみ、限界のない愛そのものであることを、ご自身経験し、全生涯を賭けてそのことを人々に表されました。
イエスは目に見えない神さまの目に見えるしるしとして生きられたかたです。
イエスに従って生きるよう集められた弟子達は教会をつくりましたが、その中にはいつの時代にも、その生き方によって、神さまの愛、イエスの生涯を思い起こさせるような「しるし」となる修道共同体が存在して来ました。
しるし――それは暖かさ、美しさ、爽やかさ、人を惹きつける力によって。社会の中にあって弱い人々と共に、泥にまみれて生き、唯一人の例外もなく、人は神さまの似姿として創られた尊いものであることを思い起こさせるから。弱い者でありながら、何よりも神さまとの深い、親しい関わりによって生きているものであるから。
「来なさい。そうすれば分かる。」とヨハネ達を招かれたように、今もイエスは招かれます。イエスに心を捕らえられた人は、すべてを捨ててその招きに応えます。心の深いところで、「力と愛、思慮分別の霊」である聖霊の招きを聴き分け、その促しに一日一日応えてゆく生き方に自分の全生涯を賭けてゆきます。
●修道生活の二つの特徴
1 三誓願を通して、神さまに自分を公に捧げること
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誓願式 |
誓願式
貞 潔
神さまの声に完全に心を開き、神さまの心を大切にして生きたイエスを愛するから。私も観想者として生き、最も貧しく弱い人々に触れ共に生きられたイエスと共に区別なしに人々を迎えいれるために
清 貧
力と物への誘惑を退け、父なる神さまへの全き信頼のうちに生きられたイエスを愛するから、私もそのように生きます。
従 順
神さまのお望みを生きることに生涯を賭けられたイエスを愛するから。わたしも聖霊に心を開き聴き分けその促しに応えてゆきます。 |