聖ヨゼフ修道会
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創立とあゆみ

●創立ものがたりと修道会の歩み

創立者ジャン・ピエール・メダイユ師
創立者ジャン・ピエール・メダイユ師

1643年、第三修練を終えフランス中部のサンフロワー市の男子カレッジに送られたイエズス会士ジヤン・ピエール・メダイユ師は、校長として地区全体を巡回するうちに、貧しい人々の必要に応え、献身的に生きている婦人達に出会った。

当時修道会と言えば、囲いの中で生活する観想会だけであったが、財産もなく、読み書きも出来ない為、修道会に入る事の出来ない女性達の願いを何とかかなえようとした師は、人目に立たないように、当時の未亡人の服装をし、福音的業の為に自由にいつでも外出できるよう小さな家に三人ずつ住み、世間からは隠れた状態で修道生活をするグループを創る事を思い付いた。

当時のフランスは長期にわたる市民戦争・宗教戦争で国は荒廃し、末亡人・孤児が残され、重税による貧困から盗み・殺りくが繰り返され、疫病が流行り、神学校も閉鎖され、社会的に困窮を極めていた時代であった。けれども一方、ョーロッパ全土で百年以上にわたり、宗教的文化的刷新を求める動きが続き、そのエネルギーが頂点に達した時期でもあった。教会の秘跡的生命の刷新、黙想方法の探究、生き生きとしたキリスト教生活への渇望、婦人の社会で果たす役割への目覚めといった一連の動きに応え、多くの修道会が生まれ出ようとしていた。

マザーセントジョン・フォントボンヌ 聖ヨゼフ会のブランチ
第2の創立者、マザーセントジョン・フォントボンヌ 再構成を描いた聖ヨゼフ修道会のバーナー

聖霊の促しに応え、当時としては全く自由な着想とも言うべき、女性の使徒的活動会を創立しようというメダイユ師の熱意はルプイ市の司教ド・モパ師の積極的支持を得て、1650年10月15日「聖ヨゼフの娘のいと小さき会」の創立となって結実した。この名称には、聖ョゼフがイエスとマリアに仕えられたように、愛深い配慮をもって、誠実に丁寧に、お互いに、又愛する燐人に仕えるようにという意味が込められていた。

フランソワーズ・アイラウドと五人の女性は師の指導の下に修道会の基礎を固め、すぐに社会のあらゆる必要に応えるべく活動を始めた。孤児の世話、要埋教育、病者の世話、囚人の訪問、若い女性の教育と指導、道徳的問題を抱えている女性、子供の世話、その活動は際限なく、年毎に新しい修道院が出来るほどにフランス西南部一帯へと拡がって行った。

フランス・ラプイ最初の修道院の台所
フランス・ラプイ最初の修道院の台所

フランス革命後、マザーセントジョン・フォントボンヌの下に、リヨンで再興された「聖ョゼフ修道会」は、その後ョーロッパから新大陸に渡った多くの移民への奉仕の為宣教師の派遣を要請され、1836年には6名のシスターがセントルイスに渡った。

アメリカ各地、カナダヘと拡がった会は教区毎に独立し、カンサス州ウィチタ教区の聖ヨゼフ会は、「ウィチ夕聖ョゼフ修道会」となった。五大陸に拡がった修道会は、約四十の会に成長し、約2万人の会員がいる。2007年、「ウィチ夕聖ョゼフ修道会」を含む、アメリカハートランド地区(中部)の7つの聖ヨゼフ修道会は、使命のために、再構成に応じ、新しい「聖ヨゼフ修道会」となった。現在は、アメリカ合衆国、オハイオ州 クリーブランドにセントラル・オフィスをおいている。

Congregation of St. Joseph
(アメリカのセントラルセンター所在地)
3430 Rocky River Drive
Cleveland, Ohio 44111  USA

www.csjoseph.org

日本へは1950年、京都教区長パウロ古屋義之司教様とメリノール宣教会の要請により三名のシスターがウィチタより来日。教会の司牧活動の手伝いから始まった日本センターの会員は、現在約30名。一人ひとり、それぞれの場で、「すべてが一つになるように」という本会の一致の使命を生きるよう努めている。

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