心の状態 「心の状態」は、日々の生活の体験の中での私の心のあり方です: 私は、自分自身を、行い/あり方、使命/カリスマをどう体験しているか; 私は、自分の生活の中で、どのように神の働きを認めるか;弱い状況におかれたが、どのように神がその状況の中で、何かをつくって下さったか; 私はどう導かれたか; 私がどのように、さらにチャレンジを受けていると感じたか。 心の状態は良心の究明ではありません。 それは、私が、私の生活の中での神の愛のパターンを見るのを助け、私の毎日の祈りと観想から溢れ出ます。 一人ひとりの祈りの体験の分かち合いは、私たちに受肉の神秘を思い起こさせ、また、私たちを、信じるということから、神の愛に応えようとするステージへと動かすものです。神の恵みの働きに応えるということは、自分が内的に気付いたことを言葉で表現することによって、もっと明らかに具体化できます。このことは、私たちの創立者メダイユ神父がくり返し言われた、キリストの自己を空にするということ(emptying)でもあり、さらに、「みなが一つになるように」という共同体の一致という新しい深さへと私たちを導くものです。 共同体のあり方 それは、私たちが、私たちの中の恵みの働きを、個人的に、あるいは共同体として、捜し求め、私たちが、その恵みに応えているかどうかに気付く神聖な機会です。私たちが、神の私たちに対する望みを知って、それに従っていくことができますように…。その目的は、修道会の目的(使命/カリスマ)と方向(寛大な約束)が、私たちの間に、また、共同体の外で、私たちの奉仕職を通して、どのように具体化されているかをふり返ることです。 分かち合い全体の目的は、共同で、共同体のメンバーの中で、および全体として共同体の中で働かれる聖霊の動きについて、一緒に識別することです。 祈りのうちに、それぞれがどのように主の御前に立っているかをふり返り、真理のうちに受肉されたキリストを思い出す時です。一致という目的のために、どれほど、自分を空にし、姉妹たちに神聖な分かち合いができるのでしょうか。創られた存在としての私たちの限界は、信頼するキリストと、姉妹という「キリストのからだ」の御前に、ありのままに差し出され、キリストにおける変容へと私たちを導くのです。それは、私たちに、友情や共通の奉仕職に依らない、信仰と信仰のコミットメントに根ざした、本当の共同体を創設します。個人と共同体の両方のために、それは識別を生きる方法です。 * * * * * * * * * * * * * * * 「心の状態」と「共同体のあり方」の分かち合いは、お互いに、神が、私たちのうちに、そして、私たちのために行って下 さっていることを証しする個人的、および共同体的手段を提供してくれます。 マーシャ・アレン、CSJ |